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トランプへの見方!

トランプ氏へ批判強める 「民主主義の脅威」毎日新聞2017年8月21日

. 「トランプは厄災を齎すだけだ」と言って来ましたが、社会問題と市民レベルで向き合おうとする人達の間にも期待する声が可也有ったのです。彼等はトランプの何を見ていたのか、私には理解出来ません。

 少なからぬ人生を経て来ていながら「人格」を見抜けないと言うことは、橋下やアベ・竹中・小泉・石原・猪瀬・枡添・小池等に投票して「善良な日本社会」の破壊に手を貸しているB層と大差ない事にも繋がります。

 情報量が圧倒的に少ないヨーロッパや、一面的な情報しか出さないロシア・中国等とは違い、米国の情報は嫌ほど流れて来ます。其の中で「見るべき」情報と「無視してよい」情報を選り分ける眼が曇っていては、日本の問題・「アベ一派自公維」への見方にも問題を含む事に成ります。




今も米軍の管理下に有る日本!。

之なんですね!。沖縄の悲劇が敗戦後72年経っても解消されない原因でしょう。

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟


本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。



この後に漫画が有るのですが、上手く貼り付けられませんでした。
お時間の有る時には全文を、無い時には記事の4ページ目に載っています。



「三浦 瑠麗」とは何者か?

日本に平和のための徴兵制を・文春オンライン・2014/09/02

最近マスゴミに良く登場するそうです、私はこの文章が初見なのですが、アベ一派・自公維の理論的担保役か!?と思えたので取り上げてみました。

文章構成から見て可也の知能は備えているようですね、それに「美人」と来てはアベ一派・自公維のポチと化したマスゴミが飛び付きそうな人材では有ります。(苦笑)

>実際の軍事介入の判断は民主主義のプロセスを通じて行われる.
>コストを意識しにくい政権と国民が民主的に選び取る戦争である。

ブッシュのイラク介入にしても「シビリアンの選択は見せ掛け」に過ぎないし、戦前の日本の様に事前に酷民(B層)を洗脳してから「民意」としていたのです。

>戦争の血のコストを平等に負担する徴兵制を導入。

何を見たらこんな「寝言」がいえるのか、「公平負担」なぞ有り得ない現実を日々見させ付けられているではないか、貴族層(寄生層)たる政治屋・超資産家等が子息の徴兵逃れに外国籍にしたり、万一逃れられない時はあらゆる手段とコネで後方勤務で済ませたり、これは韓国だけではない。「戦争への決定」を下すのは常に安全地帯にいる「寄生族」です。

「税の不公平負担の現実」を見ただけで「公平」等、少なくとも貴族層(寄生族)たるアベ一派・自公維の政権下で実現できる筈も無い事は明らかなのです、多少とも知性が有ればですけど。

>当初自衛隊を派遣しなかったことで失望されたトラウマ。

これは一般国民のトラウマではない、政治屋や金の為なら騙す事も犯罪すらも厭わない「強欲寄生者」達の抱えたトラウマに過ぎないのです。

>グローバリゼーションの力学

これ自体が「戦争」の引き金なのです、国内を寄生族が食い尽くしもうこれ以上は食えば「宿主が死んでしまうから他国を食い物にしよう」と言うのがグローバリゼーションの実態です。似非経済学者を使ってバラ色に見せようと洗脳に勤めて「B層」を感化した結果に過ぎません、代表として「竹中平蔵」が居るではないですか、その「欺瞞性・寄生族性」は多少とも知性を持つ者には明きらかなのです。

他国を食い物にするので有れば、容赦なく食い尽くせるでしょう、寄生族としての罪の意識も薄れると言うものです。端的に韓国企業の悪辣さは日本国内でも眼にします、其の反動も有って「ヘイト団体」が生まれて来ているのでしょう。



自民党の盛山正仁衆院議員(63) この「腐れ」が教育に政治を持ち込んで居る!

8/4(金) 7:31配信 神戸新聞NEXT

 腐れ自民お得意の「言った言わない」の逃げ捲くりを遣っている、逃げるくらいなら言うな!(怒)

政治信条からの発言なら「言い通せ!」、其れでこそ保守政治家と認められる、言って置いて咎められると逃げ捲くるところは「ネットウヨ」に遜色の無い超低レベル過ぎで、アベ一派はこんな「クズ」ばかりが集っている。



 私立灘中学校(神戸市東灘区)が採択した歴史教科書を巡り、自民党の盛山正仁衆院議員(63)=比例近畿=や和田有一朗・兵庫県議(52)=神戸市垂水区=が同校に「なぜ採択したのか」などと問い合わせていたことが3日、分かった。インターネット上でも「政治圧力ではないか」と問題視する声が上がっている。

 同校が採択したのは、「学び舎(しゃ)」の歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」。教科書は現役教員やOBらが執筆し、他社で記述がない慰安婦問題に言及。1993年に河野洋平官房長官(当時)が元慰安婦へのおわびと反省を表明した「河野談話」を載せ、併せて「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」と現在の政府見解も取り上げている。

 県教育委員会などによると、同校は2016年度から同社の歴史教科書を使用。同教科書を使っているのは県内では同校だけという。同委員会義務教育課は「(教科書の使用は)適正に行われている」としている。

 同校の和田孫博校長が昨年、同人誌に寄稿した「謂(いわ)れのない圧力の中で」と題した文章で「自民党の一県会議員から『なぜあの教科書を採用したのか』と詰問された」「本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、『政府筋からの問い合わせなのだが』と断った上で同様の質問を投げかけてきた」と明かした。

 また、採択を批判する「文面が全く同一」のはがきが200通以上届いたといい、和田校長は「はがきはすでにやんだが、圧力を感じた」と振り返る。現在も和田校長の文書がネット上で引用され、論争となっている。

 盛山、和田両議員は神戸新聞社の取材に、批判のはがきとの関連を否定。その上で、盛山議員は「灘中の教科書について、OBとして周囲から疑問の声を聞いたので、校長に伝えただけだ」と強調。「『政府筋からの問い合わせ』と言った覚えは全くない」とする。

 和田議員も会合で校長に採択理由を尋ねたことを認め、「私個人は学び舎の歴史教科書に疑問があり、さまざまな会合で口にしている」と主張。「私立学校の特色ある教育は理解しており、圧力などではない」と話している。



リフレ派の狙いは何だったのか?。

「彼等の狙いは何だったのか?」

 黒田東彦・伊藤 元重・井堀 利宏・八代 尚宏・・・等日本経済学界のリフレーション派の錚々たるメンバーが揃っていながら、易々と「アベのリスク」に加担してしまって「貧困層の拡大」・「企業犯罪の増加」・「社会保障の低下による介護現場の荒廃」・・・等、表向きに発表している事と実際彼等の狙った事による惨事の基を探って見たいと思います。


基本認識の問題


 表向きの狙い通りであれば彼等の知識や実行資産(権限)から見て有り得ない間違いを犯している事に成ります、それは無い訳で彼等は現状の既得権益層の利権を守る前提で政策を考えています。詰まり、政治屋や大企業や超富裕層等の「限界消費性向(740万円前後)」を超える所得層の利権や資産を守る事を大前提としているのです。

 従って、其の政策は実体経済では「生産効率の上昇」を狙う事に成りますが、生産効率が上がれば労働力は要らなくなります。詰まり、企業の支払う賃金は減ります、庶民は所得が減り消費を下げるしか有りません。商品の消費原資を奪って新貴族層への貨幣供給を増やす事になるのです。効率が上がって増産された商品を誰が買えるのでしょう。
国内では消費原資を持つ人々が減少しているのですから、外国へ売るしかないのです輸出です。
其の為には、「グローバリズム」と飾り立てた「自由貿易」を推進するしか有りません。

 更には、「消費」が期待出来ないので「実体経済」の外での収益の可能性を求めて「博打市場」の活性化を狙ったのですが、 企業の抱える「内部留保」は今や370兆円を越えると聞きます、これだけの貨幣が「凍結」されては日本の国力が低下するのも当然です。

 企業の「内部留保」と言っても其の貨幣は企業の懐で眠っている訳ではありません、「箪笥預金」と違ってこの貨幣の殆どは「投機市場」で運用されているのです、詰まり、「生活経済市場」に「寄生」しているのです。投機市場にある資金は投機口座に固定されています、出て行っても相手の口座で固定されます、マネーゲームですから口座から口座に移転するだけで、「消費」も「生産」もしません。詰まり、生活市場から見れば投機市場に「凍結」されるのです、其処で収益を上げれば誰かが損をしています、損失分を取り返そうと更に資金を投入する、其の資金の殆どは実体経済市場で儲けた資金・貨幣です。これを又投機市場に入れると其の分生活経済市場で流通する貨幣が減少します。

 GDP約500兆円は本来なら1000兆円を超えても不思議では無いのです、如何な計算かと言いますと、370兆円が生活経済市場で流通すれば「乗数効果1.8」が乗ります、単純に666兆円の経済活動が上積みされることに成ります。

 日銀による「異次元金融緩和」なんて、「賭博資金」の供給に過ぎないのですから実体経済である投資や生産・消費等が活性化し「生活経済」が持ち直す筈がないのです。

 デフレ脱却を目指す事は間違いでは有りません、しかし、その原因は「サプライサイド」(生産)では無いのです。「生産が不足して商品供給が足りないので経済が低迷し価格低下が起きる」のがデフレでしょうか?。こんな馬鹿かな政策を採っているのがアベ一派&黒田の「異次元金融緩和」なのです。
馬鹿馬鹿しくて書く気力も萎えますが。w

 こんな連中に税金で年に何千万円も払って「飼って」居るのかと思うと情けなくて涙も出ません。><

 黒田の金融緩和策 → 企業や金融機関の持つ国債や社債等の有価証券を日銀が買い上げ、それらの持つ銀行口座の数字を大きくして「金余り」を作り出す。

 これで何が起きるでしょう?。企業は商品が売れていないのに設備投資をするでしょうか?。雇用を増やすでしょうか?。有り得ません。><

 金融機関は企業に貸付を増やすでしょうか?。内部留保を溢れんばかりに溜め込んでいる企業側は、商品が売れていないのに借りますか?。有り得ません。><

 例外的に、大企業の「買い叩き」に会い、利益も出せずそれどころか生産設備の償却すらまともに出来ない中小企業は借りたいのですが、利益の出ていない中小企業に貸す金融機関は「闇金」位なものです。><

 では口座に膨れ上がった「お金」は何処へ向かいますか?、手っ取り早いのが「株式投機」です。日本中の「既得権益層」(大企業・金融機関・資産家)も同様の行動に出ることは容易に推測できますから、一斉に「株式投機」に走り出しますから株価は上がります。事実もそうでしたね!。
最近は一部の不動産へも流れている様で、価格の高騰も聞かれますが昭和バブルの再来に成りかねません。

 所が一巡して膨れ上がった株価が限界値になれば、それ以上は投機にに使う資金は無くなります。「株価」の上昇は止まります。

 で更に「緩和継続」で又「株価の上昇」です、これも暫くすれば止まります。次が「年金資金」の投入です、これで更に株価を吊り上げます。この経過の中で当然「株式投機」から収益を得たものもいます。大量の人的装置的な運用システムを持つ機関と、運が良かった人です。で一時的に「資産効果」と言われる「消費の活性化」が起きます、が元々限界消費性向を超えている所得を得て居る層ですから、其れによる消費の増加は微々たるものです。しかも、これは投機=博打ですマネーゲームでなのです、投資(設備や雇用等=消費)では有りません、従って儲け分は誰かが何時かは損をする事が決定したと言う事です。

(年金資金から数十兆円が消えたから、年金の支給額を減らす、開始年齢を引き上げる、なんて無責任なことを遣っているのがアベ一派・自公維の政治です。)

 一転、株に限らず「博打相場」は上がる事も有れば、下がる事も有るのです。下降局面に入れば「逆資産効果」が起き「消費の低迷」に成ります、詰まり「資産効果」等と言う物はプラス・マイナス=ゼロと言えます。一時的な変動・乱高下に過ぎないのです、経済にとっては何の資する所も無いのです、其れを如何にも「経済現象の花形」の如く触れ回るのは良からぬ企みあっての事でしょう。

 昭和時代の高度成長期は何故起きたのか?、敗戦によりGHQの管理下で「財閥の解体」や「シャウプ税制」により其れまでの「貨幣の偏在」が解消された事が決定的だったのです。敗戦から10年を経て破壊された設備も整い出し貨幣は満遍なく回転をしだし、朝鮮特需も有って一気に生産設備も更新されたのも大きかったでしょう。

 勿論、米国政府等がこれを狙って新制度を強制したのでは無いでしょう、「富の偏在」は其の持ち主を傲慢にし戦争に突入し易くするからです、其れを防ぐ為に「富の普遍化」を図ったのが思わぬ効果を齎したと言うところでしょうか。
現在の様に貧富の格差が拡大し「富が偏在」すると戦争の危険度は上がります、昨今のキナ臭い政治の基にはこの「富の偏在」が有るのです。隣国・北朝鮮が危険な遊びを仕掛けて居るのも「富の偏在」が極まっているからだと見れば判り易いでしょう。この辺りは「人間の性」だとも感じます、「富の偏在」が極端な国ほど戦争をし易いのは米国を見れば一目瞭然でしょう、近来では世界中で一番「人間を殺している」のは米国なのです。



企業倫理の崩壊


 競争を煽り過ぎ今や少なくとも日本企業は、犯罪を犯すことも厭わない様です。アベ一派が仕切っている限り警察も司法も思い通りに成る、犯罪も犯罪では無くして貰えるからです。

 この所それが次々に明らかに成って来た、ブラック企業・電通・三菱・タカタ・東電等はモロバレしたケースでしょう。東電に至っては警察・検察・判事すら隠蔽に加担しているとしか見えません。
企業経営者とは犯罪を重ねた極悪人ども、経団連はそんな連中のシンジケートと化してしまった。

 寧ろ、犯罪を重ねたから企業にまで成り上がったともいえる、少なからぬ官僚もその意味では同様です、職務違反や犯罪を重ね政治屋共に「不法な便益」を齎したたからこそ高級官僚に成れた様です。

 生業はこうは行かないのです、政治屋に回す程の金が無いからです、犯罪は犯罪として裁かれる。損得等考えるまでも無いのです、従って余程追い詰められない限り法は守ろうとします。

 又、「政治・経済絡み」の犯罪は例えバレても刑罰は無罪に近いほど軽い、罰金100万円も掛かれば高い方です。違いますでしょう!、全財産没収・懲役は1件毎に最低30年くらい懲役を打つべきです、そうすれば犯罪者が大きな顔をしてマスゴミに出てきたり社会に更なる同様の害悪を与える事は無くなるのです。

 多くの刑法犯が「個人を被害者」とするのに対し、この手の犯罪は「個人の被害」には比較的軽いものが多く、「集団」を被害者とする為総額が大きくなる特徴が有ります、当然「個々人」の被害額は算定し難い訳で、其の為か軽い罰で済まし易い様です。

 私が生きて来た日本社会では、この手の犯罪・「政治・経済絡み」の犯罪は、その被害総額の大きさに比べて刑罰は「無い」と言えるくらい軽いもので済まされてきました。
 
 それは偏に権力を握る政治屋や官僚・経営者等が犯す犯罪だからです、何時自分が罪を問われるか判らない犯罪だから其の特権を悪用し、意識的にその刑罰を軽いものにして来たのです。

 その結果が今や370兆円にも上る不動貨幣を溜め込んで、日本経済を貶めているのです。


貧困問題


 ここにも経済への無知が蔓延っています、こんな事をしていれば経済は縮小するばかりです。
経済新聞や政府系の報道に出てくる「需要が無い!」何てトンでもない勘違いか、詐欺に近い欺瞞なのです。

 生活保護を申請しなければならない人には、膨大な潜在需要が有るのです。生活資金を供給すれば即消費されるのです、詰まり「物が売れる」のです、すると企業は増産する、設備も増やす、人も増やす、非正規では逃げられると成れば正規雇用も増えます、生産性も上がります。

 2014年の国税庁発表によれば年収200万円以下の勤労人口は約1000万人以上との事アベ政権下のデーターですから当然の事ながら、「アベ・バイアス」が掛かって今や「中国発表」と大差無い有様ですから、これよりは酷いと見なければ成りませんが。 
皆の所得が増えれば税収も増えます、消費も増え企業は更に儲かります。
その額だるや100兆円にのぼります、この層では貯蓄に回ることは無いでしょうから、詰まりそのままGDPの増加に成ります、現在の約500兆円の国内総生産(GDP)が20%増える事に成ります。
言わば「迎え水」」です、年収200万円以下の貧困層に100万円位の補助資金を供給する。

 実施するには、毎月8万円づつでも良いし年金の様に2ヶ月毎16万円づつでも良いでしょう。
この部分は直ぐに生活経済市場で回転しだしますから、1,8回転以上の乗数が乗る筈です詰まり実際の貨幣は 8万×1000万人=8.000.000.000.000 8兆円毎月で6ヶ月で48兆円も支給すれば年にして100兆円程度の消費増は可能な訳です。

 歴代政権が小手先の策を繰り返し20年を経ても抜け出せ無かったデフレも一気に脱出です。「バラ撒き」ですがこの層へのバラ撒きは生活費ですから、其の侭乗数効果が見込めます。当然、企業は設備投資や雇用を増やすでしょう、賃金も上げるでしょう税収も上がります。

 原資は政策的に不当な負担逃れをしている部分への課税を強化するだけで済みます、低減されているキャピタル・ゲインや所得税累進・企業所得等の政策的減税を受けている部分を適正課税に戻すだけです。抵抗は有るでしょうが、それが怖ければ印刷させても良いでしょうし、国債を発行しても良いでしょう税収増で賄える筈です。

 一つ先に遣って置くべきは、銀行等金融機関の投機行為です。これは法的に不能にしてきつく監視すべきでしょう。そうでないと折角の生活市場への実儒貨幣を供給しても、循環の中に「凍結貨幣」を持つものが入った時に脱漏が起きて乗数が乗らなくなる恐れが有るからです。この手の国家管理というか規制は良い規制なのです、暴走装置を止める働きをするのですから必要な規制です。

 他にも幾つかの方策を採るべきですが、細かい事は実現性が出来てからでも遅くありません、兎も角真っ先に遣るのは巨大所得、巨大資産への適正課税と金融機関の投機行為の禁止です。投機資金へは宝くじ・競馬・競輪と同じく25%の課税を投入時点で取ることです。これが実施されれば金融系での投機行為は無くなります、資金は嫌でも生活経済市場に還流するしか無くなります。

 企業の内部留保の内、当面投資や消費予定の無い資金に課税するのも良いですね。

 博打市場(株も新規でなければ博打)に有る資金は、結果的に生活市場に寄生しているのですから、取り上げれば良いのです。いや取り上げなければ生活経済が毀損されてしまうのです、何ら新たな価値も生み出さないマネーゲームで「収益」を上げたら、それは掠め取ったと言う事です。
結果的には「竹中・小泉」の経済政策と大差ない事態に、より悪化させた事態に成っただけの事です。
 
 其の資金の供給元は生活市場です、作って売って儲けた資金ですから結果的に生活市場に寄生する事に成ります。
取り上げるに十分な理由なのです。
「我欲亡者」が権力を握っている様では実現性は無いでしょうけど。

 貧困は「陥るもの」では無いのです、時の「政権」と「既得権層」という寄生者によって意識的に「作り出される」ものなのです。


 最後にこれは以前書いた 「『経済』と『経営』と『貨幣』」と重複する部分も有ります。

http://kagee.blog23.fc2.com/blog-entry-282.html

 此方の資料のリンクは殆どがサイト構成の変更或いは削除により死んでいますが探し出せませんでした、ご勘弁ください、どうも政権にとって不都合な引用をされる資料は消されるようです。
最後までお読み頂き有難う御座いました。

「騙される事は、それ自体罪である。」 愚民・酷民への警告!。!

可也の文章量ですが一読の価値は有ると思うので全文貼り付けます。
書かれたのは戦後間もない、昭和21年との事で流石に当時の国情を良く捉えて有ります。
この文章から何を読み取れるかも、「知性」次第ですが!・・・。

戦争責任者の問題

伊丹万作





 最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏ほきようにつとめていたのであろう。
 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱せいじやくな自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
 しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりしているのである。
 いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
 たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発起人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
 それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
 最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
 しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)

(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)


底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
   1961(昭和36)年7月10日初版発行
   1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「映画春秋 創刊号」
   1946(昭和21)年8月
入力:鈴木厚司
校正:田中敬三
ファイル作成:
2006年5月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



東京都議選で自民大敗するも、都民の質に疑念!。

 東京都議選の「都民ファースト」への雪崩は、過去の自民や民主への雪崩と同様のポピュリズムを感じさせる、単に「小池劇場」に乗せられた「酷民」行動ではないかと感じるのです。

IWJ 「 速報! 都民ファーストの小池都知事は、」 2017.6.29

 小池氏の就任以来の言動を見ると、確かに広く目配りはしているようですが、根っ子には「日本会議」が有り、自民党員で有り、アベ・シンパで有る事もハッキリしています。ノブタや細野の様な「隠れ自民」を切れない民進の低落は当然としても、他の野党系候補の伸び悩みから見てこの結果は決して、アベ一派自公維の政治理念自体への批判行動とは思えない。

 相変わらず「酷民」で有る事から脱したのでは無いでしょう。><

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ベーシックインカム映画案-増山 れな

ベーシックインカム映画案-増山 れな

https://www.facebook.com/rena.masuyama.9?fref=nf

 これも、「原資を何処に求めるか?」が大切なのです。

 消費税等を持ち出したら全く意味が無くなります、まずは銀行の博打市場への資金投入を禁止して、其の上で、「限界消費性向」を超える所得への累進強化に求めねばいみが無いのです。

 限界消費性向を超える所得の殆どは博打市場で凍結されてしまいます、企業も同様に、近未来の投資資金として留保するのは認めても、後日別途への資金流用は追徴課税が必要です。
 所得した貨幣は誰かの商品を購入する事で、生活経済市場へ還流させ無ければなら無いのです。

 これが出来ればデフレなんて起きる筈も無いのです、こんな事は「経済を運営する」視点から見れば中学生にも判る理屈です。(欲ボケ)してなければね!。欲ボケどもは「経済」を経営視点で見るから「縮小均衡(デフレ)」に嵌り込むのです。


アベ一派はここまで腐った!。

アベ一派はここまで腐った!。

警察官僚を指揮して「レイプ事件のもみ消しを計る」。

「私はレイプされた」。著名ジャーナリストからの被害を、女性が実名で告白!。
goo.gl/ZuGjHV


「私はレイプされた」。著名ジャーナリストからの被害を、女性が実名で告白!。

テレビに多数出演する著名ジャーナリスト・山口敬之氏にレイプされたと主張する女性・詩織さん(28)が5月29日、山口氏が不起訴となったことを受け、検察審査会に不服申立をしたと発表した。詩織さんは弁護士を伴い、東京・霞が関の司法クラブで記者会見した。

配布された資料などによると、詩織さんは2015年3月、当時TBSワシントン支局長だった山口氏に就職相談をしたところ、食事に誘われた。そして4月3日午後8時ごろ、都内の串焼き屋に入り、午後9時20分ごろ寿司屋に移ったが、そこで食事をしているところで記憶を失った。そして、痛みで目覚めた際、レイプされていることに気付いたという。

「私の意識が戻ったのは翌朝の午前5時ごろ。ホテルのベッドの上でした。私は裸にされており、山口氏が仰向けの私の上に跨っている状態でした。詳細については差し控えますが、はっきり言えることは、私はその時、私の意思とは無関係に、そして私の意思に反して性行為を行われていたということです」

詩織さんは酒に強く、酔って前後不覚になったことはなかったという。詩織さんはすぐに病院に行き、さらには4月9日に警視庁原宿署に相談した。

警察の捜査によって、タクシー運転手や、ホテルのベルボーイ、ホテルセキュリティーカメラ映像、下着から採取したDNA片の鑑定結果などの証拠が揃い、2015年6月にいったんは山口氏への逮捕状が発行された。しかし、捜査員からは逮捕直前、「上からの指示で、逮捕できなかった」と連絡があったという。

山口氏はその後、2015年8月26日に書類送検されたが、2016年7月22日に、嫌疑不十分で不起訴になった。詩織さんは納得がいかないとして、検察審査会に不服申立をした。

詩織さんは、家族の意向で名字は伏せたものの「匿名の被害者女性と報じられたくなかった」として、顔と名前を公開して記者会見に臨んだ。

山口氏は元TBS記者で、長く政界を取材しており、2016年5月のTBS退社後はフリージャーナリストとして多数のテレビ番組に出演している。安倍首相との距離も近いとされ、2016年6月に出版した著書「総理」(幻冬舎)では、次のように記している。

「安倍氏と私は一回り違いの午年で、出会った当初からウマが合った。時には政策を議論し、時には政局を語り合い、時には山に登ったりゴルフに興じたりした」

山口氏は、週刊新潮でこの件が報じられたことを受けて、自身のフェイスブックで5月10日次のように反論している。

「私は法に触れる事は一切していない。当局の厳正な調査の結果、違法な行為がなかったという最終的な結論が出ている。この過程において、私は逮捕も起訴もされていない」

一方、詩織さんの代理人弁護士は「これは起訴されるべき事案だと確信している」と述べた。





今様「天下餅」を食らう!。

 今も国会でアベ・菅が森友関連の発言をしていますが、今の国会で奴等が何を言おうと「壮大な無駄使い!」に過ぎません。その発言が事実であろうが嘘であろうが、最終的には「数の力」で無視してしまいます。
 実に無意味な御芝居を国費使って演じていることに成ります、司法はアベポチでまったく動きませし、B層は見ても居ないのです、選挙になっても棄権しますからアベ一派自公維は事実を語る必要性が全く無いのです。

 政治屋集団である現在の自公維が国会に於いて、絶対多数を持っている限り国会は何の役にも立たないのです。「国民の財産」をアベ一派自公維の個人的な関係人に無料配布しても、国会では揉めるだけで最終的には「数の力」で「万世万世」済ましてしまいます。
 マスコミも惚けて「提灯記事」しか書かない、今や{2(アベ一派自公維)・6(B層)・2(私達)}国民とはアベ一派自公維のお仲間の20%だけに成ったようです。後の80%の国民は奴等にとっては「お荷物」に過ぎず、精々戦争時の兵隊要員でしかないのでしょう。

 私が自意識をもって以来、この様に「既得権層」が公然と剝き出しの「貪欲」を開放したのは初めてです。
 この国は「焼け野原」に戻して、一から造り直すしか無い時代に掛かっていると思われます。

「竹中・小泉が吐き、野田がこねし天下餅、座して食らうはアベ一派」









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